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201号室(てんてん)

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Q:今どんな気持ち?

ワクワクドキドキ!期待と性欲に満ち溢れてます!

Q:あなたの部屋はどんな部屋?

女を呼ぶには最適な部屋!

Q:第一印象でいいな~と思った相手はいる?

今はまだわかりません

Q:1週間、どんな生活にしたいですか?

女子が居る生活を存分に堪能したいです!

人は誰しも、心に「孤独」を持っている。

そして、その「孤独」がこころの表面に浮き上がった時、何を思い、どんな行動に出るのか。

そこに、人の性格や人格が現れるのだ。
これを「淋しさ」という言葉に変えるとわかりやすいと思うが
女はこの「淋しさ」にことのほか弱い。
 
 
日向に置いた生ハムのように、すぐ傷む。
カバンに入れっぱなしにしたままのタマゴサンドのように、すぐ腐る。
とにかく、足が速いのだ。

「淋しい気持ち」これは女ならずとも、人には耐えがたい心境なのだろう。
しかしだ、女はこの「淋しさ」を時として、自己弁護の材料や詭弁に用いる。

以前、裏切りを犯した女がこう言った。
「淋しかったから。淋しくさせるから。淋しいから他の人を好きになるのよ。」
彼女は、淋しさが恋愛感情を起こすのだと言う。

気持ちはわからないでもない。
だけど、誰かに寄りかかりたい気持ちと、人を愛する気持ちは同じじゃない
そんな女は死ぬまで、恋愛感情と淋しさを埋める行為の区別もつかないまま
同じことを繰り返してゆくだろう。

淋しくなるのは人のせいじゃない。
キッカケがそうであっても結局は自分のせいなのだ
人に依存して、自分の足で立てないから、淋しさを1人で克服できないのだ。いい言葉がある。

“淋しいのはオマエだけじゃない” 誰だって淋しいのである。

“じたばたするな。ホコリがたつぜ” ドンと構えたいものだ。

淋しがる女がそれを埋める手段は常に男だが、その代償として、淋しがる女は信頼を失う。

約束や夢や永遠というロマンチックなモノを共につむげる相手ではないと
相手から信頼をなくすだろう。

今、携帯電話やメールやラインなどが普及して
些末なコミニュケーションを交わすことが当たり前の時代。
 
自分の淋しさをなだめるために、“元気にしてる?”と
相手を気使ったような言葉やメールを送り合う。

一種のコミニュケーション中毒だ。
そこにある、偽善と負の共鳴性。表面的でいて
その実、気持ちを探り合うようなしらじらしさ。

 逆に淋しさを増幅させ
真の孤独を生み出すようなツールが当たり前になった今、淋しがりの女は愛されることよりも
心無い1本のメールに飛びつくことで、錯覚してゆく。

「淋しい」という感情がなければ人はもっときれいに生きるだろう
もっと賢く、もっと穏やかで、もっと優雅に。

淋しさに勝てる女は美しい。
ひとりの時間を豊かに過ごせる人。そんな人がいるならば、オレは憧れてしまう。

春が人を狂わせるように、冬には人が淋しさに狂わされる。
しかし、今までに自分も含めて、淋しさに打ち勝っている人間というのも見たことがない。
 

人間は本当に頼りない生き物である。
SEXなんかなければいいのに。

‘‘結局勝負はインポになってからだろう‘‘
 コレがここ数年オレが自分の中で思っていた芸術的展開である。

毎日の生活には食うための作業に追われ、精神的に実りのない作品が生産されるのみである。
農家の思想では米を作ったり、野菜を栽培するといった、現状維持しながら
食いブチを稼ぐ作業を「生業」といい、まだ整地されていない土地を耕したり
田んぼのあぜ道を整えたりという、これからの発展を考えた作業のことを「仕事」という。
今ではなく、未来のための作業が「仕事」ということは、オレは何も仕事してないことになる。

しかし、オレ自身の問題は、「仕事」よりも、「芸術」をしてないことなのだ。
どーゆーことが芸術なのかさっぱり見当がつかんのだけど、オレの目指す空気があって
「爆発する風流な芸術空間」
風流でありながらHOTで心地よい。
その理想の芸術環境を形成するために
今何か、実りのあるプチ芸術をしなければイケナイのだが
それを邪魔するのが充血する海綿体。平たくいうと汗をダラダラ流すチンポなのである。

何かひとつ行動するにしてもどこかにスケベ根性やチンポな気分が介入してきては
本質をチンポ汁で見えにくくしてしまう。

それも「芸術」だとう人もいるが、オレのそれには「風流」といいうキー・ポイントがある。

例えば、仕事場にスタイルの抜群の美人秘書(元プレイメイト)がいたとしても
涼しい顔で仕事したい、「そこのSEX中毒の君。目障りだから消えてくれる?」
このセリフの世界がオレの目指す「風流芸術」である
これはチンポが死んでなくては言えんだろう。
インポになった時からオレの芸術人生が始まるのである。

昼間の公園のベンチで、捨ててあるように陽ざしを浴びる老人。
乳首に媚を売ることも、マンコに愛想笑いすることもなく、ただ口を開けたまま空を見上げる。
「空が青いのォォォ・・・・・」 
コレである。
 
こうなって初めて、空色の空が描けるのだ。
今、オレが描いている空はチンポ色である。
早く来い。インポの季節!! 今すぐは早過ぎるが、まぁ、50歳にはなれるだろうか。
いや、ひょっとしたら今年ぐらいにはすっかり色気も飛んでいるかもしれんな。

そうやって、来(きた)るべき芸術生活の幕開けをイマジンしていた矢先。
ある本屋に立ち寄った時に見つけた本を読んで茫然とした。
『性生活報告』(サン出版)。
熟年向けの性生活報告雑誌。早い話が年寄り向けのエロ本である。
これがまた、あーた、もう。何ちゅーかね。
雀(すずめ)百まで踊り忘れずって、そんなエエもんじゃないんだけど、とにかく踊り狂ってます。
 
‘兵庫県・男(62歳) 定年退職後から第2の人生。
デパートの警備員をしています。
勤め始めて3ヶ月を過ぎた頃、同じデパートで働く
3歳年上のクリーン・レディー(つまり65歳の掃除のバァちゃん)と仲良くなりデートに成功。
3回目のデートでホテルに誘いました。(あのね・・・)ビールを飲んで
抱き寄せて口移しに飲ませ、長いキッスをしました(ひーっ)。
 
--中略ーー 
 
ブラジャーの下に指を入れて乳房を揉み
小さい乳首を (65のババァの) 唇で強く吸うと「すっごく感じる」と言って悶えております。
恥毛もまだ真っ黒で、その下の陰唇は薄桃色で (どーでもいい!!) 
腰を押し付け「あぁ!イイッ!!」とヨガリ声を上げます 
 
--後略ーー‘‘ 
 
あぁ!!気色が悪い!!もうデパートに行っても、掃除のオバチャンや警備のオッサンには優しくせん! 
いや、今よりもっとせんぞ! キショ過ぎる!

これが恐ろしいことに、この62と65のカップル
この本の中ではまだ、ぜんぜん若いほうなのだ。

 これを読んで、グッタリと疲れ&吐き気&年寄りに対する嫌悪が起きた。 
そして、オレの芸術はどうなるのだろうか? 死ぬまでチンポは生きて、芸術は殺されるのだろうか?
俺はどうやら“釣った魚に餌をあげるのは好きらしい”
普段男は釣ったらあげなくなるものらしい”のだが
オレの場合は彼女に何かをプレゼントをするのは好きらしい。

とりたてて何の日というワケでもなく
似合いそうな物があれば買い、欲しい物があると聞けば贈りたくなる。

贈る側の気分としては楽なのだろう。
 

よく、プレゼント攻勢で女をクドく男もいると聞くが
オレは基本“釣ってもいない魚にエサを与えるのは恥ずかしい”と思っているようだ。
何かを発表しているようで。
そして、贈り物は思いがげなくもらうのがいい。
それを手にした時、相手がどこかで自分のことを気にかけてくれているのだと知る感触がいい。

人から「今までにプレゼントした中で一番高価な物はなんですか?」と聞かれた時があった。
その時は、「マンションです」と嘘を答えたけど、本当は腕時計だった。

その時、付き合っていた彼女とは別れる寸前だった。
お互いその予感を全身で感じながら最後にどこかで飯を食った帰り。

その人を見ていて色んなことを思い出しているうちに
ずっと欲しいと言っていた腕時計のことを思い出した。
オレがいつか買ってやると言ってたことも思い出した。
銀行に行くと残高は35万円しかなかったけど、それを全部引き出して
時計を買いに行こうと言った。
 
彼女は“いいよ”と言ったが、無理矢理買いに行った。
このまま別れて、オレ自身がそれを買ってあげられなかったことを後悔したくなかったのか
何かをつなぎ止めようとしたのかわからなかったけど、最後のプレゼントだとはわかっていた。

その腕時計をした彼女は結局見ることがないままだった。
 
 

しばらく経って、彼女からあの時計を売ってしまったと電話があった。
オレは全然構わないと言った。
新しい彼氏の前でその自分に似つかわしくない時計をしているのがツラいと言った。

オレはそれを聞いて、素敵な人と付き合っていたなと思った。時計をあげて良かったと思った。
 
 

今日ボクはこの素晴らしい寮を出ていく
 
みんなにはそんな素敵な人と出会える事を切に願っている。
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